サンパウロは、最近すっかり涼しくなりました。しとしとと雨の降る日が続いています。

それでも週末は、イピランガ公園/独立公園(Parque da Ipiranga / Parque da Independencia)とパウリスタ博物館/イピランガ博物館(Museu Paulista Universidade de Sao Paulo / Museu do Ipiranga)*へ行ってまいりました。
(*/の後は通称)
イピランガ公園には、1922年、ブラジルの独立100周年を記念して建てられたブロンズの独立記念碑があります。記念碑は、1代目ブラジル皇帝となるポルトガル皇太子、ドン・ペドロ1世が「独立か死か」と叫んだシーンで、腹心の兵士ら131体のブロンズ像が並ぶ巨大なものです。

当時リオ・デジャネイロが首都だったのに、なぜこのサンパウロのイピランガ川(Riacho do Ipiranga)の土手で独立宣言が行われたか、不思議に思うかもしれません。それは、独立支持基盤確立のためサンパウロ州内各地を歴訪していたドン・ペドロが、この地で使者によってもたらされた「本国議会が彼を反逆者と断じ、討伐軍を送ることを決定した」のニュースに奮起したから・・・だそうです。
まあ、一説では、サンパウロに来たのは愛人がいたから、とかこの川のほとりに寄ったのは、下痢のため・・・とか聞きますが、まあ、ブラジルの独立にケチを付けてもしょうがないですね・・・。
ちなみに、この記念碑の下は、ドン・ペドロ1世夫妻(1人目の妻で「国家の母」と愛される、マリア・レオポルディナ・デ・アウストリア(Maria Leopoldina de Áustria)。2人目は多分名前だけ)の霊廟になっています。
ドン・ペドロ1世の心臓は、ポルトガルにあって、体だけこっちに移されているようです。ここで流されているビデオに司教が保存された心臓を恭しく取り出すシーンがありましたけど・・・薄暗い墓の側で見ると、これが怖いんですわ。

・・・そのモニュメントから、イピランガ川を背に公園を抜けていくと、立派なパウリスタ博物館が見えます。1895年に開館したこちらは、サンパウロで最も古い美術館だそうです。
地下1階と地上2階の館内を巡ると、近代サンパウロの生活様式を知ることができるようになっています。また、モニュメントの基になった、有名なペドロ・アメリコ(Pedro Americo)の絵画、「独立か死か(Independencia ou Morte)」もあります。

しかし、展示以上に素敵なのは、その建物と庭園かもしれません。
イタリア人建築家、Tommaso Gaudenzio Bezzi設計のネオ・ルネサンス様式の宮殿の前に、幾何学模様に手入れされたフランス風庭園が広がっています。宮殿の中から静かな庭園を眺めると、ブラジルにいることを忘れそうです。
機会がありましたら、ぜひどうぞ。