2008年9月26日金曜日

ブラジルの大衆ビール

ブラジルを代表するビール、ブラマ(Brahma)が120周年を迎えたそうです。記念サイトでは、北京オリンピックの開会式を見ながら「ブラジル人には絶対無理だよねぇ」と言い合っていた夢のマスゲームで彼らが足並みを揃えている姿を見ることができます。参加だってできます。
ブラジルのビールは薄くてなあ、などと侮っていましたが、このブラマの黒生は泡もクリーミィで非常においしいです。書いていて、生ビールを飲みに行きたい、と切なくなってきました。

うちのアパートの並びにオープン・カフェならぬオープン・居酒屋が2件あります。仕事からの帰り道だったので、そこを通る度に、ポテトフライと生ビールを前に、ものすんごく楽しそぉうに談笑する人々を見ることになります。見ちゃいけない、見ちゃいけない、と思っているのに、横目で捕らえてしまった光景に「そうか、飲んじゃうんだな、熱々のポテトの後じゃそりゃ旨いよな」とか「おぉ、もう一杯頼んでたのか、うっわぁ、グラス白いよ、すっげぇ冷えてんなあ」などと頭の中で実況中継が開始され、それを振り切るように、歩調を速めたりしてたのでした。はい、妊婦、がんばりました。思い返しても自分を褒めてやりたいくらいです・・・。なんて。

さて、ブラジルで誰もが知っているビールと言えば、ブラマの他に、ペンギンの模様がかわいいアンタルチカ(Antarctica)、若者向けのイメージが強いスコール(Skol)ソル(Sol)、、ちょっと高級な、日本で言うとエビスっぽい位置づけのボヘミア(Bohemia)、根強い男性ファンを持つカイザー(Kaiser)、安さ軽さで一気にシェアを獲得したノヴァ・スキン(Nova Schin)、味で売りたいバヴァリア(bavaria)といったあたりがすぐ思い浮かびます。
350の缶、ロングネック瓶、あと600の大瓶が一般的なサイズ。全般的に軽いので、キンキンに、こっちで言うところの「馬鹿なくらい(stupidamente)」冷やして飲むのがお勧めです。
でもやっぱり外で飲むなら、生ビール(chopp)の方ですね。味わう系の地ビールについては、また今度。

2008年9月24日水曜日

ブラジル日本移民資料館

イペーサンパウロは、ブラジルの国花、黄色いイペー(Ipe)が咲く季節になりました。
この花を見て、6月に母と訪れたブラジル日本移民資料館(Museu Histórico da Imigração Japonesa no Brasil)のことを思い出しました。ここに美智子様が詠んだ「移民きみら辿(たど)りきたりし遠き道にイペーの花はいくたび咲きし」という歌とイペーの大きな写真があったからです。

日本移民資料館ブラジル日本移民資料館は、日本人がサンパウロを観光する際に外せないスポットです。
と言いつつ、私はサンパウロに1年以上住んでいながら、移民百周年で皇太子様(!)が訪れてやっと「じゃあ行ってみるかね」と重い腰を上げたのですが・・・いやぁ、見学する価値、ありました。




リベルダージさて、資料館は、東洋人街リベルダージ(Liberdade)の日伯文化協会(Sociedade Basileira de Cultura Japonesa)ビルの7~9階にあります。地下鉄だとリベルダージ駅よりサン・ジョアキン(Sao Joaquim)駅が最寄となりますが、リベルダージからも充分歩けます。リベルダージ駅からだと、百周年を迎えるに当たって塗り直された、きれいな鳥居の並ぶガルバン・ブエノ通り(Rua Galvao Bueno)を下っていきます。色褪せた鳥居が見えたらそろそろです。しかし、全ての鳥居を塗りなおす暇、なかったんでしょうか・・・。どうでもいいですね。

この文協ビルは、日系人の活動の中心で、資料館の他にも日本語の通じる病院や図書館なんかも入っています。方向音痴の我々は、病院の待合室とか講堂とかも見ちゃいました。なんとなく懐かしい感じの日本語の貼り紙がたくさんありました。そういえば、来伯した小泉元首相が泣いた・・・というのもこの場所ですね。

で、資料館ですが、最初の移民船「笠戸丸」がサントス港へたどり着いた100年前から、第二次世界大戦終了直前までの日本移民の軌跡が、年代を追って見られるようになっています。
我々が訪れた日は、声の良く通るガイドさんを先頭にした日本人観光客のグループも後から入ってきました。ガイドさんのあまりに上手な解説に、思わず順路を変えて、さりげなーく彼らの後について行けるよう待ち伏せしてしまいましたが・・・。まあ、ガイドさんなしでも、堪能できるかと思います。機会があれば、是非どうぞ。

2008年9月5日金曜日

ブラジルの飲酒運転規制法

みなさま、こんにちは。
久しぶりに、日本のコンビニへ出かけたら、「ピンドラーマ(Pindorama)」という日本語のフリーペーパーをいただきました。初めて読んだのですが、なかなか面白かったです。で、その中にブラジルの飲酒運転規制法に関する記事があったので、6月に法律が施行されたことを思い出しました。それで、今日はブラジル人の飲酒運転に対する態度についてお話しますね。

法律が施行されたとはいえ、ブラジル人の多くは、未だお酒を飲んでも車を運転して帰るようです。飲酒運転はいけないこと、という意識がないです。寧ろ、特に男性は飲んでもハンドルを握れることを誇りとしているきらいがあります。
前に勤めていた会社で、若者の飲酒運転防止キャンペーンの企画に参加しましたが・・・ブレスト参加者の多くは、「大学生と違って、呑んでも運転できないほど酔わないから、俺は」と思っているようでした。当然ながら、そんな面子で作られたキャンペーンは効果なっさそ~ぉな感じでございました。まあ予算も時間もなかったんですけど。

私が思うに、飲酒運転が受け入れられてきた理由は、マッチョカルチャーに加え、車社会だからです。
サンパウロには地下鉄やバスもありますが、夜間の利用は危ないです。飲酒運転以上に怖い、と思う人が大半のはずです。また、会社などへ車で出かけて、タクシーを利用・・・というのも、なかなか実行しにくいものです。だいたい、タクシーの運転手からして、飲酒運転してますし。
前に、イビラプエラ公園のタクシー乗り場前に無人タクシーが止まっていたので、運転手を捜すそぶりをしていたら、近場でビール飲んでたおっちゃんがやってきました。しかも乗り込んだら、助手席にビールの空き缶が2つ転がっていました・・・。そりゃあ、公園でビール呑みたくなる陽気ではありましたが・・・全く悪びれる様子もなく、困ったものです。

それでも「ピンドラーマ」の記事によると、法律施行後30日間で連邦高速道路の事故による死者が12%減少したそうです。今後、周りの意識が変わるのか・・・またご報告しますね。