こんにちは。東京→ニューヨーク滞在の後、昨日サンパウロに戻りました。いやあ、長々と国外で過ごし、このブログの更新も久々でございます。日本で相手をしてくれた皆様、ありがとうございました。
さて・・・成田→ワシントンD.C.のフライトは、ユナイテッドのビジネスでした。来るときにバシネットを確保できなかったので、今回は3時間以上前にチェックインカウンターに到着し、万全を期したつもりでした。が、アメリカに入るときって、チェックインにも滞在先住所が必要なんですね。夫と空港で会う予定だったので、住所も持たず(これも会えなかったらどうするんだって感じですが)飛び立とうとしてました。いや、なんか忘れてる気はしたんですけどね・・・。でも、一緒にいた友人Aとパソコンの側にいた友人Bの機転でなんとか住所は確保できました(まきちゃん、さんちゃん、ありがとう!)。で、バシネットも大丈夫ですよー、と言われ、これで一安心とばかり、ご飯を食べたり、買い物なんかもして日本に別れを告げたのでした。
そして機内。席が最前列じゃないことにちょっと不安になって、バシネットが使えるかを客室乗務員に再確認。「離陸後、持ってくるわ」とアメリカンな(?)笑顔にまあ、あたしも心配性になったものだ、と苦笑を返して待つことしばし。
しかーし、持ってこられたのは、古い型のバシネット。床に置いて使うタイプ(これもひどいけど)ではなく、壁に3点で固定するもの。これを床に置いて使え、と乗務員1が言うのには、怒り心頭。「バシネットについては、チケット購入時、チェックイン時、機内の3回も確認したのに、これはないだろう、どうにかしてくれ!!」とまあ、かーなーりきっつーく言いました。でも取り付ける壁もないし、新しい型のも積んでないし、どうすることもできないのよー、と堂々巡り。で、日本人の乗務員が連れて来られました。「日本語でも同じことしか言えないんだけど・・・」と言ってるの、聞こえました。嫌な役目を押し付けられた彼女も可哀想です。だからと言って、D.C.までの13時間、ずっと娘を抱っこするのは避けたいので「仕方ないわね」なーんてクールに笑って許す訳には参りません。「他に方法はありませんか?」と笑顔で詰め寄ります。でも飛行機は満席。2席使うとか、ベッドを作るような大量の毛布とかはないとのこと。いやーな沈黙が流れ・・・「ちょっと待ってください」と彼女は去ってしまいました。それから数分の後、彼女は「クルーの毛布を持って参りました!」。結局これを床に敷いてベッド代わりにしたのでした。娘のフライトの経験は、壁のバシネットから床のバシネット、ついには床に毛布、と、どんどんランクダウンしている状況となったのですが、この床が意外とよく眠れるらしく・・・機内では全く泣くこともなく、着陸時には、周りの乗客に「エンジェル・オブ・ザ・デイ」とまで称えられたのでした。
しかし、アメリカの入国審査は日に日に厳しくなっているようで・・・ベビーフードは開けられるわ、ミルクは特別の機械でチェックされるわ・・・で、荷物を手伝ってくれる人もいなければ、もちろん子連れに対する優先対応などなく(その点羽田や成田ではものすごく親切なサービスを受けられました。日本が好きになる瞬間です)、気がつけば乗り継ぎ時間、ぎりぎりです。猛ダッシュでゲートへ向かった所、幸運なことに飛行機が遅れていました。・・・って、幸運だと思ったのは間違いだったんですけどね。飛行機は20分ごとにさらに遅れる、とアナウンスを繰り返し、機内へ入ったのは2時間ちょっと後。さあ、やーっと出発・・・と思いきや、機内でも1時間近く待たされました。もうニューヨークに着いた頃にはくったくたです。やーれやれ。
そして、ニューヨーク、サンパウロ間・・・こちらは旦那と一緒にデルタのコーチ席です。バシネット確保はもはや命題。当日朝から電話し、再リクエスト。空港にも3時間以上前に着きました。・・・デルタのカウンターのひどいことと言ったら・・・チェックインまでに1時間以上待たされました。で、バシネットはゲートのカウンターで頼めとのこと。だんだん不安になりましたが・・カウンターの女性が親切かつ有能で助かりました。無事、バシネットも確保し(しかも壁タイプ)問題なくサンパウロへ帰国したのでした。
・・・でも、ここで終わらないのですよ、苦難は。なんと、預けたスーツケースのポケットが開けられ、買ったばかりのドン・エド・ハーディのバッグが盗まれてました(涙)。旦那のスーツケースの方も同様でしたが、デルタの乗務員が落ちていた古いパスポートを見つけ、呼び出してくれたのでした。はぁ、いやはや。
次こそ、楽しかったアメリカの話をします。
2009年6月29日月曜日
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